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2007年01月26日(金)更新

「中国」 の20年前を思う

     「中 国 」の20年前を思う 
久しぶりに元、ニコニコ堂(ス-パ-)創業社長が来社されました。

(マラソンで有名な、松野明美(今は芸能人)さんが所属されていた会社)

主人が不在の為、私がお相手し1 時間程お話が出来ました。

お付き合いして、もう30年近くになります。

国籍は、中国ですが、生まれも、育ちも熊本です。

かなり苦労され、一代でニコニコ堂を築かれました。

九州では大変有名な会長さんです。
                    
私には貴重な体験があります。(今では体験出来ない20年前の旅行です)

当時、昭和50年前半まで日本は、中国と国交がありませんでした。

その為、中国旅行は出来ませんでした。    

日中国交回復(昭和48年)して、間もない時期の昭和59年熊本では

初めての、中国旅行が企画され、250人程の団体ツア-となりました。

その時代としては、中国に行く事は珍しく、楽しい旅でした。

初めての中国旅行は、祖国の方のご協力で実現できたようです。

熊本の新聞にも、デカデカと一面の記事として載ったことを思い出します。

中国の偉い役員さんの歓迎を受け、大変豪華な食事の接待を受け

感激したことも懐かしい思い出です。

その時、初めて北京ダッグを食べ、感動した事が思いだされます。

中国外、旅行には10回程(S59~H7)同行しました。

北京、上海、桂林、蘇州、西安、韓国、香港、等々です。

(ここ10年位行っておりませんおで、変わった中国を見たいものです。)

その当時は今のように経済発展しておらず、日本の戦後みたいで

懐かしい思い出です。

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その当時(昭和 58年)

1. 物価=(今は一元15円位)その当時は今よりかなり安かった

2. 水や紙が無く困った事が思い出です

    (トイレはオ-プンです最後の頃は慣れてきました。)

3. 服装はほとんど、人民服でした

4. 車といえば高級官僚車のみ

5. 自転車は高級品

6. ストッキングは女性のあこがれの的でした

7. カメラに非常に好奇心を持たれていました
 
  
ブロガ-の皆さんの中で、どれだけの方が戦中戦後をご存知か分かりませんが‥

今おもえば、貴重な体験をさせてもらったと、感謝しています。

北京等、びっくりするような町でしたよ。

服は人民服一色(人は大変な人出)、車といえば官領用車だけで、信号等も無く

警察官の手旗信号です

ちょっと前の日本も同じでした(経験より)

林会長は時々、中国(祖国)に帰られているそうで、発展の目覚しさには

目をみはるそうです

機会があれば、是非行こうと思っています。

このように、ブログをかくことにより、過去を思い出すのも

ありがたいことです。

「餃子の王国」双和食品工業㈱
   高尾 幸子